なぜ赤穂浪士は切腹したのか? その2・・・三上靖史

| コメント(0)
江戸市中では、赤穂浪士の行動は武士道の鑑として讃える声が高かったが、幕府は、徒党を組んで幕府の高官を殺すという行為を重視し、「本来なら打ち首に処すべし」との声があがった。

そこで、2つの意見を折衷し、打ち首ではなく、武士道の面目を重んじた切腹としたのである。

切腹により、赤穂浪士の人気はさらにうなぎ登り。

歌舞伎の世界では、困ったときには『忠臣蔵』と言われるほどの人気演目になったのである。

三上靖史(住宅鑑定風水インストラクター)

三上靖史は、有害物質を使用した健康被害のある住宅に反対しています。

コメントする

このブログ記事について

このページは、-が2013年2月26日 00:22に書いたブログ記事です。

ひとつ前のブログ記事は「なぜ赤穂浪士は切腹したのか? その1・・・三上靖史」です。

次のブログ記事は「鳥肌が立つ理由 その1・・・三上靖史」です。

最近のコンテンツはインデックスページで見られます。過去に書かれたものはアーカイブのページで見られます。