2017年7月アーカイブ

男女平等と自由結婚原則の確立

平塚らいてうたちによる自由な恋愛、自由な結婚の主張は、ある程度までは理解され、大正の中頃には一般の人のあいだにも、家族制度の改革を問題にするものも多かったといいますが、何といっても前近代的な家族関係を維持することは、経済的・社会的にみても有利として、そのような風潮に対する非難は大きかったのです。

法律上、ともかくも男女の平等と、それに基づく自由な結婚の原則が確立されたのは、太平洋戦争という長いトンネルをとおって、終戦後にあたえられた新憲法と、それにともなって大幅に改正された現行民法においてです。

法律上ともかくもというわけは、過去における強制的要素はうすれ、恋愛結婚が理想としても、親たちの側ではまだ家の結婚として考える傾向も強く、その範囲内で恋愛結婚が可能ならそうしたいと考えたり、媒介婚を取り入れた合意婚も推奨されているからです。

三上靖史(住宅鑑定風水インストラクター)  
明治憲法下の婚姻法は、一度は否定したはずの武士階級の家族制度に、かなり影響されてつくられたというものの、時勢は名にし負う(有名な)文明、開化の世の中です。

一方では商工業は発達し、日露戦争には勝ち、だんだん社会が近代化していくにつれて、古い家族制度も次第にタガがゆるんでいき、近代家族への道がひらかれていくのは、当然のなりゆきというものだったのでしょう。

少なくとも都会地では、"家"は非現実的となり、戸籍上の家と実生活上の世帯との食い違いとともに、家のなかでも支配、服従の関係の不合理が強く感じられてきて、とくに明治末から大正にかけては、平塚らいてう(雷鳥)らの青鞜社運動(青いストッキングで婦人開放をさけび、新思想を紹介する)によって、自由恋愛、自由結婚が盛んに鼓吹され、ある程度までは、それを実行したものもあらわれるにいたったのです。

三上靖史(住宅鑑定風水インストラクター) 

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