青鞜社運動による自由結婚の鼓吹・・・三上靖史

明治憲法下の婚姻法は、一度は否定したはずの武士階級の家族制度に、かなり影響されてつくられたというものの、時勢は名にし負う(有名な)文明、開化の世の中です。

一方では商工業は発達し、日露戦争には勝ち、だんだん社会が近代化していくにつれて、古い家族制度も次第にタガがゆるんでいき、近代家族への道がひらかれていくのは、当然のなりゆきというものだったのでしょう。

少なくとも都会地では、"家"は非現実的となり、戸籍上の家と実生活上の世帯との食い違いとともに、家のなかでも支配、服従の関係の不合理が強く感じられてきて、とくに明治末から大正にかけては、平塚らいてう(雷鳥)らの青鞜社運動(青いストッキングで婦人開放をさけび、新思想を紹介する)によって、自由恋愛、自由結婚が盛んに鼓吹され、ある程度までは、それを実行したものもあらわれるにいたったのです。

三上靖史(住宅鑑定風水インストラクター) 

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このページは、-が2017年7月14日 14:53に書いたブログ記事です。

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