男女平等と自由結婚原則の確立

平塚らいてうたちによる自由な恋愛、自由な結婚の主張は、ある程度までは理解され、大正の中頃には一般の人のあいだにも、家族制度の改革を問題にするものも多かったといいますが、何といっても前近代的な家族関係を維持することは、経済的・社会的にみても有利として、そのような風潮に対する非難は大きかったのです。

法律上、ともかくも男女の平等と、それに基づく自由な結婚の原則が確立されたのは、太平洋戦争という長いトンネルをとおって、終戦後にあたえられた新憲法と、それにともなって大幅に改正された現行民法においてです。

法律上ともかくもというわけは、過去における強制的要素はうすれ、恋愛結婚が理想としても、親たちの側ではまだ家の結婚として考える傾向も強く、その範囲内で恋愛結婚が可能ならそうしたいと考えたり、媒介婚を取り入れた合意婚も推奨されているからです。

三上靖史(住宅鑑定風水インストラクター)  

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このページは、-が2017年7月24日 07:55に書いたブログ記事です。

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